イグ室長プロフィール
鈴木 義次(すずき よしつぐ)
ニックネーム igrek(イグレック)
令和元年に起業しました。
思い起こせば名古屋から横浜の大学に来て卒業したときも平成元年でした。
”やらずに後悔するよりやって後悔した方が良い”
卒業してからは音楽(Sax)で食べていくことを目指していました。
今思えばかなり無謀であったと思います。しかし当時は夢が叶うはずだと思っていましたし、時代もそんな若者達を後押ししていました。
目指していた期間の中盤くらいはダラダラしてしまった時期もありましたが、ある先生に師事してから今まで自分でやっていたことが全然意味ないじゃん!って気付かされたのです。
スケール練習をする意味。それがアドリブのフレーズの土台にもなるし音楽的会話をするための血と肉になっていく。
それは言葉では分かっていたけど、じゃあどうやって体に染みつけていくのか具体的に分かっていなかったのです。(適当にやっていた感じです)
きっかけは単純なことでした。シンプルなテーマを出されてその課題がこなせなかったので何が不足しているか気付かされたのです。
シンプルなテーマを体に染み込ませ、それを淡々と積み重ねていく大切さが分かったら継続する気持ちも高まりました。
そして、しばらくすると体に変化が起きました。音をイメージすると指を動かさなくても指を動かしている感じが確実にするのです。
頭と指の毎日の連携で神経回路が出来上がっていたのでしょう。
それまでスケールやパターン、フレーズなどkeyが変わったらグチャグチャになってしまってたのが確実になっていったのです。
肉体と頭(イメージ)の練習を繰り返すことで高度に発達させていく経験をすることはとても貴重だと思います。
自分はその入り口に片足を入れたぐらいで進路を変更してしまいましたが、その経験はその後の人生にも役に立っています。
現在につながるターニングポイント
Macintosh LC-475(1994)
1994年にまだパーソナルコンピューターが国内で一般化してなかった頃、DTM(デスクトップミュージック)が出来るらしいと知って、MacにするかWindowsにするか悩んだあげくMacのLC-475をモニターやらソフトやらいろいろ込みで当時40万円くらい突っ込みました。
最初OSをインストールしようにも何回も失敗して購入店に持って行ったら初期不良だと言われて秋葉原を何回か往復しました。
結構めげましたね。40万円の投資は無駄になるのか?
結局、Macは音楽には使わなくて最初データベースの走りでもある”ハイパーカード”にハマってコンピューターの面白さに触れることが出来ました。
また、フィルムカメラをしばらく経ってから手に入れ、ライブで歌っている知り合いのヴォーカルやプレーヤーから頼まれて撮影するようになり(ほとんどボランティアですが)出来上がった写真を使って、チラシの製作やパンフレットを作るようになりました。DTP(デスクトップパブリッシング)というヤツです。フォトショップやイラストレーターを使い出したのもこの頃からです。
この分野は自分的には苦労している感覚が全くなく、遊んでいるといった方が正確な感覚です。
まだ音楽は諦めていない時だったのですが、音楽の方は努力している感じが結構ありました。体が変化して上達しているのは自覚しているけど遊んでいる感じがしなかったですね。今振り返ってみると。
21世紀 写真館に勤務し始める
正確には2000年12月からですが横浜市内にある写真館で働き始めました。
コンピューターを使って卒業アルバムの製作や写真のレタッチ、デザインいろいろなことを担当しました。
相当難問な写真を直したり、もっと合理的なワークフローを考えたりと内部作業を中心にしていました。
そのうち外に出て学校写真を撮影するようになり、いきなり現場という結構ハードな状況にさらされつつも何とかこなしていき、担当する学校の業務は高品質のサービスを提供するようにしていきました。
2013年 一眼ムービーカメラ Canon EOS70D誕生!
EOS70Dは自分が起業することになった重要な要因になるカメラです。
この1つ前に使っていた7Dからムービーの実験は始めていたのですが、スナップムービーが実用的に可能になったのは70Dが世界初と言って良いでしょう。コレに関しては自分が世界で一番先端にいると自負しています。
スナップを撮りながら面白いドキュメントムービーも撮ってしまうカメラマン。
しつこくしつこく4年間撮り続け編集し毎年毎年テストして観てもらうことを繰り返して、販売に漕ぎつきました。
仲良くしていただいている先生方に協力していただき、様々なパターンをテストしてきました。短編・中編・長編のムービーをこれまで3〜400本くらい作ってきました。
また、販売から3年間のマーケティングのデータも蓄積しニーズがあることも確認しました。
事業化はオーナーにその意志がないとのことだったので、新しいことはやはり自分で切り開かなくてはいけないのだと決意し、独立することにしました。
今後のビジョン
1人でやっていくには限界がありますので、まずは興味を持ってもらい、同士を増やしていかなければなりません。
将来的に大きな組織(会社)としてやっていくのか、それとも個人事業主としてビジネスモデルを作る方が良いのか?現在悩んでいる所です。
ニーズは確実にあります。それなりに高い価格帯で設定し販売しても買っていただける層はいますので、ペイできると思います。(クレジットで分割払いも選べるならもっと購入していただけるかもしれません。それは今後実験します)
現時点ではブルーオーシャンの分野ですので先行者優位になります。なにせ誰もやっていないのですから。
でも流行りだしたら大手が参入して安かろう悪かろうの世界になってしまいます。
そうすると泣くのは下請けカメラマンと下請け編集者です。
自分が思うスタイルは個人のカメラマンが元請けとして数校と契約することでそれなりに収入の柱となり十分やっていけるのではと思います。
従来の写真だけのビジネスモデルでは薄利多売で元請けも下請けも疲弊していくモデルになっているので、スクールフォト業界の未来はじり貧でしょう。
現在、多数の学校と契約を結んで下請けカメラマンを使っているビジネスモデルを営んでいる年齢層の方達が引退するのがここ数年で起きてきます。
その時、いま下請けで数多く仕事を受けているカメラマンがあまり良い条件では無い状況から脱出するために、その解放された学校と直に契約するために動画という武器を携えて、あくせく仕事をしないで自分のペースで仕事が出来るようなビジネスモデルを作っていきたいと思います。
そんな個人事業主カメラマンが全国に増えてネットワーク化出来れば、現在非常に困っている、”行事が重なった時の代写カメラマンをどう確保するのか問題”を解決できるかもしれません。
だいたい、同じ市内ばかりが管轄だと同じ日に行事(入学式・卒業式・運動会等)が重なります。これが市外、県外だと日程が違う場合があります。
写動技術を持っているカメラマンなら、県外から依頼して経費を払ってもペイ出来ると思います。
写真のみでは難しいかもしれませんが、動画も撮れればあとあと高付加価値を付けてコンテンツとして売れますので十分勝負出来ると思います。
写真と動画を両方撮影して編集も出来るようになれば、スクールフォトカメラマンの地位も相当上がると思います。
従来のイメージだとカメラマンヒエラルキーではスクールフォトは底辺に位置すると思われています。(若い世代が入ってきません)
町の写真館などがスタジオの仕事が減ったのを補完するためにやり始め、利益を多くするために契約学校数を増やさざるを得ず、(卒業アルバムを請け負う専門会社も多数出てきてます)安売り合戦を繰り広げています。
サービス内容がここ10年以上変わってないのですから安売りせざるを得ません。
良いカメラマンを確保し、契約先に専属して付ければ相手も満足感を得られますが、そういったサービスを提供できるお店、会社はそうそう無いでしょう。
自分が起業したことで思うのですが、下請けをするかぎりそれは独立しているとは言えません。一度そんな関係を結んでしまえば元請けにはなれなくなってしまいます。
得られる収益の差は認識していますか?
目先のお金より、先々の収益をデザインすることを目指しませんか?
たまにバイトすることはいいと思います。特に興味があって自分の糧になりそうなものなら経験すべきでしょう。しかし下請け関係になることは辞めるべきです。ある程度やったら離れた方が良いです。
独立したカメラマン同士なら、補完し合えることが出来ると思います。
そんな未来を築くために邁進していきます。
2019年(令和元年)5月15日 室長 鈴木義次